「ナイトメ屋」についてのETC

2006年12月28日

今日はうちのお店について、少しお話しようと思う。

うちのお店はとにかく暇だ。
どれぐらい暇かと言うと、お客さんに「この店はやっていけてるんですか?」と月に2~3回心配されるほどである。
いちよう、なんとか、ようやく、それなりに、6年つぶれずやっていっている。ちょっと自分でも不思議だ。

あるミュージシャンが(うちにはいろんなミュージシャンが来る。でも、匿名でよろしく)、「おにいさん。この店一本で食べていってるんか?」と聞いてきた。
「そうです。」と答えると、「ロックな生き方やな~~~!」と言う答えが返ってきた。
これはちょっと嬉しかった。そうなんですよ。ロックなんですよ!!(でも、ヴィジュアル好きなんですけど)

うちの店は、とにかく狭い。
なにせ、4坪の中に1000種類以上のグッズがひしめき合っているのだから、仕方が無い。
6人も入ると、酸素が足りなくなっちゃいます。常連さんの中には、「混んでるからちょっと散歩してきます。」と言って時間をずらしてくれるつわものも居たりするほどだ。

うちの店は、とにかく入りずらい。
入り口には骸骨(ジャック)がかかってるし、ポスターやチラシで中の様子は見えないし、店員(僕)は怪しいオヤジだし、とにかく、ドアーを開けるのに相当の勇気が要る。
週に数回、ドアーの向こうで「はいる?どうする???」って言う相談の声が聞こえる。(入ってこない)

うちの店は、場所がわかりにくい。
たぶん、日本の玩具屋のなかでも、五本の指に入る分かりにくさだ。
外見からは玩具屋があるようには絶対に見えない薄暗いビルの2階で、しかもA型看板が1個出てるだけ!
元町駅から5分もかからず来れるはずなのに、1時間半迷ったって人が居たよな(汗)。

うちの店は、お客さんの滞在時間が長い。
地方組(北は北海道から南は沖縄まで、遠方からのご来店感謝です)が多いせいもあって、2~3時間は当たり前だ!5時間ぐらい居た人も居る。
どうせお客さんも少ないし、僕もいろいろおしゃべりが出来て楽しいのだが、お手洗いを我慢するのがつらかったりする。(うちは、従業員僕一人なので)

‥‥っとまぁ、こんな感じのお店です。

                         ではまた!!!






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Posted by ナイトメ屋のオヤジ at 14:58│Comments(2)無駄話
この記事へのコメント
岩本です。先日はどうもありがとうございました。
あるサイトで貴君の店の陳列について触れられており、その中で
「オーナーのコレクションの”一部”」と書いてあったのを見て、改めて驚愕し、失禁しそうになりました。「あれで一部かいや~!?」ってな感じです。
というわけで、失禁してもいいようにこんどはオムツしていきます。

さて、話はローカルかつレトロになってしまいますが、
我らが本田塾の塾長が御年81歳で健在だとか。

うちのオカンの友達が、玉津の方で卓球を教えているのですが、そこに
たまたま現れたそうです。
近年は悠々自適の生活で、卓球をやったり水泳をやったり、
めっちゃ元気だそうです。
もしかしたら、性生活も現役かもしれません。困ったもんだ。
(それも、ロックな生き方やなあ。あくまで推測ですが。)

上品な妄想はさておき、ご存命中に「囲む会」なんかやってみたいですな。
ただ、天神町、御幸町あたりは震災後すっかり変わってしまったので、
かつての塾生を集めるのは大変そうやなあ。
Posted by 岩本です at 2007年06月03日 11:08
これって、(コメントを書き込むこと)イキナリ公開されてしまうんか!
仕組みをよう知らんうちに、プライベートな話を書いてしまいましたな。
すんまへん。

さて先日、ナイトメ屋オーナーおよび小生のクラスメートである、W氏より「やなぎ浩二(※)の店を見つけた!!」との連絡がありました。上六の楠本みえ子の店「おみえどん」と一緒に、お店訪問レポートしようと思います。

前回のプライベートな話の穴埋めに、ちょっとグローバルな話題を追加しておきました。(←どこがや!とセルフツッコミ)

※やなぎ浩二(Wikipediaより)
吉本興業に所属する日本のお笑い芸人。兵庫県西宮市出身。本名は海徳 浩(かいとく ひろし)。
中学卒業後1958年に落語家・三遊亭柳枝門下に入門したが、新喜劇に社内移動。「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」のときに解雇されたが、島田一の介同様、演技力が評価されて1999年に再入団した。
Posted by 岩本です。 at 2007年06月03日 11:24
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